毎日を何気なく過ごしていると、ふと時間というのもが、いつまでも永遠に続くかのように錯覚しがちです。確かに平和な日々において明日が来ることは当然であり、たとえ少しの時間を無駄にしてしまっても、“後で取り戻せる“些細なことに思えるのでしょう。
しかしこれは、大きな間違いです。人にとって時間は間違いなく限りあるもので、個々によりその長さは異なります。そして自らに与えられた人生という時間の長さは、残念ながら誰にも知ることができません。それだけ、時間には大きな価値があります。
仕事において、どうもこの時間を軽視する方が多いように感じます。この『時間』にどれだけの価値を見出すのかは個々の自由ですが、仕事では他人の時間に踏み入ることもあるでしょう。もしかしたら、知らぬ間に誰かに無駄な時間を使わせてしまっているかもしれません。今回はちょっとそのことを改めて考えさせられる出来事がありましたので、事例を踏まえてお話します。
■ちょっと実例を見てみる
これは、つい最近あった出来事です。すでに終わったことなので今さら責める気などありませんし、私はもう仕方なかったのだと割り切っています。しかし非常に分かりやすい例なので、簡単にご紹介します。
某クラウドソーシングサイト経由で、お仕事のご相談を頂きました。相手は上場企業で、ご連絡くださった方ご自身も、Webメディアなどに登場するちょっとした有名人。いわゆる“出来る若手ビジネスマン”として取り上げられている記事もあり、お仕事でご一緒できることを楽しみにしていました。事前の打合せを求められましたが、クラウドソーシングという特性から
「契約が確定した後のみ伺います」
と回答。ここで破断になる場合が多いのですが、直接契約禁止の原則から私はいつもこのように対応しています(今はもう少し緩いのかもしれませんが…)。しかしこの申し出にも快く応じて下さり、メッセージで仕様確認や金額交渉が進行。打合せ前に電話でも話したいということだったので、私への依頼が確定した段階で電話番号を伝えると、
「明日お電話します」
と連絡がありました。しかし…
その日はちょうど外出の予定もなく、いつでも電話に出られるようにしていました。が、待てども電話は鳴りません。次の日、そしてその次の日も無し。土日を挟んだため頭から忘れかけていましたが、週明けにメッセージを送ってみました。
すると返信があり、体調を崩して休まれていたとのこと。それでも何かしらアクション出来るのでは?とも思いつつ、そこは相手への気遣いも忘れずに。改めて日程を調整し、相手が電話できる時間を範囲指定してきたので、ちょっと厳しかったのですが、その中から30分だけ時間を作って伝え、空けて待機しておくと伝えました。
なんとなくお察しかと思いますが、残念ながら電話は鳴らず。翌日になっても、特にメッセージなど届いていませんでした。この時点で、もう案件に対応する気持ちなどありません。その旨を伝えると、返ってきたのは次の言葉でした。
「他の仕事を優先させて連絡を忘れていました」
相手も悪いと思ったのか、もちろん謝罪も添えられ、すぐにキャンセルの手続きが行われました。恐らくクラウドソーシングに限らず、音信不通やドタキャンは様々なシーンで起きているはずです。しかしここに、時間意識の欠如を感じるのは私だけではないでしょう。
■相手の時間をもらっている
体調を崩してしまったことは、仕方ありません。私だって風邪を引くことがありますし、昨年は入院もしました。2度目は何か大切な仕事に追われてしまい、連絡すること自体が頭から抜けてしまったのでしょう(たぶん…)。しかし考えたいのは、電話しなかったことについて事前・事後共に何のアクションも無かったこと。
「体調を崩したのでリスケしてほしい」
と一言あれば、私は早々にその日電話はないのだと知り、気にせず他のことに没頭できたかもしれません。2度目はもはや忘れていたので何も出来ませんが、さすがに気付いた段階で相手側から連絡がほしかったな…と感じます。
電話でも訪問でも、相手の時間をもらう行為に他なりません。社内の会議や、相談事をするときだって同様です。あるいは返信が必要なメールを送るのも、相手から返信という行為にかかる時間をもらっています。そしてこの時間とは、冒頭に書いた通り大きな価値を持つものです。
今回は、一見すると実際に時間を取られたわけではないように思えるかもしれません。しかし約束を交わした時点で、電話に要するであろう時間はどこかで取られるという前提を持ち、1日仕事に取り組んでいました。また2度目については本当にスケジュールが厳しく、やっと30分だけ「待機する」として調整を伝えた時間だったのです。