いいでしょ?僕の人生

走ることは身体に悪いって?幸せな人生のために私は走り続けます


8/27の北海道マラソン以降、みやぎ湯めぐりウルトラ遠足100km、白山白川郷ウルトラマラソン100kmと3週連続でレースを走りました。で、先週はトレーニング&取材がてら、ランニングコーチを担当するオンラインサロン『Free Run’s』メンバーとリレーマラソンに出場。とても有意義な休日を過ごしています。

しかし最近、毎日のように走る私の姿を見て、こんなことを言う人が増えてきました。

「そんなに走ると早死にするよ」

「走り過ぎて身体を壊すよ」

など…。まぁ、運動については、ネットでも色々とネタにされています。健康のために良いと言われた運動も、違った側面から見ると身体に悪いというわけです。気になる方は、Goole先生に聞いてみてください。とはいえウルトラマラソンに関して言えば、身体に悪そうと言われたら否定はできません。そして何よりも、皆さん私の身体を心配してくださるからこその言葉なのだと思います。感謝。

でも、例えば今の僕からランニングを取ったら…どうなるでしょうか。それは、私にとって大きな“生き甲斐”の1つを奪うことになります。そうなれば、どれだけ身体が元気でも、ある意味では(心が)死んだような状態になるのでは?と思うわけです

そして心の健康という面で見ると、間違いなく私にとって“走る”ことは欠かせません。走っている際の気持ちよさ、そして、そこから引き出される活力。いくら長生きして身体が元気でも、活力なく毎日を送ることを私は幸せだと思えません。

では、何がいったい幸せなのか?

私は常々、「一度きりの人生を最高に楽しみたい」と考えています。その結論として走り続けているわけで、だからこそ毎日が充実し幸せなのではないでしょうか。少なくとも走っている、あるいはラン仲間と過ごしている時間は、この上なく楽しいと感じています

もちろん誰でも走れば良いというものではなく、人それぞれ幸せのカタチは違って当然。自ら興味を持って下さる方を除き、私は誰かに走ることを押し薦めることなんてありません。他に生き甲斐があるのなら、それに全力で取り組むことが一番でしょう。

最近では走ることが仕事になった関係から、レース以外でも走る頻度が増えました。だいたい月550〜600kmほど、色んな場所・環境で走っています。その姿は、例えば子供たちにとってどう見えているのか。少なくとも楽しそうに走り、働く私の姿を見て、彼らは未来にネガティブな印象は持たないはずです。あるいは走ることを通じて、どんどん新しく素晴らしい人との繋がりができています。これは、私にとって人生における大きな価値です。

もちろん、身体にはできる限り気を配るという前提で。

走ること以上に大切な、家族という存在もあります。いくら走ることが好きとは言え、怪我三昧で身体ガタガタになってまで走ろうとは思っていません。もちろんそのために、怪我なく走る方法を考え、実践して取り組んでいるわけですが…。

これからも走り続ける私を、温かく見守って頂ければ幸いです。