和歌山で、2歳児が虐待され死亡する事件が起きました(情報元:産経ニュース)。容疑者の父親は26歳。このニュースを私はテレビで知りましたが、ただ悲しみがこみ上げるばかりです。
この家庭は5人家族で、亡くなったのは長男。母親もいますし、他に子どもも2人います。小さな子どもにとって、唯一守ってくれるはずの親という存在。言葉を発せない2歳児は、いったい父親からの虐待を受けて何を思っていたのか。
間違えて認識してほしくないのは、この父親が「若い」ことに原因はないということ。若くして立派に子育てしている夫婦はたくさんいますし、私も23歳で長男を授かりました。至らぬ点はあるのかもしれませんが、溢れんばかりの愛情を注ぎ、試行錯誤しながら育児に取り組んでいるのです。
子どもが3人もいるのであれば、この家庭も『子どもが嫌い』ではなかったのでしょう。理由は知ることなど出来ませんが、仕事など周囲の環境から、父親を虐待に及ばせる“何か”があったのかもしれません。しかしそんなこと、子どもには関係のないことです。親が自らの子を傷つけるなんて、私には理解のできないことですが、命を産みだした側としてあって良いことではありません。
母親は日々の生活の中で、父親の虐待に気付かなかったのか。ご近所など周囲の人々は気付かなかったのか。今回の事件に及ぶまで、恐らく何度も虐待は行われていたはずです。 子どもを外へ連れ出すことだってあったでしょうから、「何かおかしい」と感じるシーンはあったのではないでしょうか。
親には、子を幸せに育ててあげる責任があると思います。幸せの形はそれぞれですが、このような事件など起きて良いはずがありません。責任を持てないのであれば、子どもなどつくらなければ良い。命というものは、たとえ生みだすことが出来ても、奪う権利など誰にもないはずです。
よく行政などに対し、虐待防止の施策を求める声が聞かれます。確かに行政単位での対策は必要なのかもしれません。しかしその前に、親となる我々1人1人の“心”が大切。そして近隣を含めた、人と人との繋がり。そうした、もっと身近なものから考えていかなければいけないのではないかと感じます。
このような悲しい事件が、二度と起きることのない社会になるように。私はまず1人の父親として、我が子へたくさんの愛情を注いでいきたいと思います。