皆さん、『マタニティマーク』というものをご存知でしょうか?これは、ステッカーを車に貼ったり、キーホルダーをカバンなどに着けたりすることで、「私は妊婦です」ということを周囲に知ってもらうためのもの(独自解釈)です。
この『マタニティマーク』を巡って、昨日Yahoo!ニュースで「マタニティマーク嫌がらせ」という記事を見つけました。
私は、この事実を非常に悲しく、また寂しく感じています。恐らく同じ記事を読んでも、感じ方は賛否両論でしょう。ですからここで書く内容も、私個人の意見に過ぎません。しかし子を持つ親として、「そうなんだ〜」で済ますことは出来ない。それだけ、この記事には考える意味があると感じています。
【注意】私は専門家ではなく、あくまで1人の子を持つ親としてこのブログを書いています。不適切な表現等がございましたら、深くお詫び申し上げます。
■なぜ“嫌がらせ”が生まれるのか
妊婦さんは、お腹の中にもう1つ赤ちゃんという名の“生命”を抱えて生活しています。そして赤ちゃんは、1日1日と時を経るごとに成長。妊婦さんは、ただ歩くだけであっても、その負荷が重くなります。つまり、生活そのものが少しずつ大変になっていくというわけです。
私は男性ですから、その大変さを身をもって経験することは出来ません。妊娠したことのない女性も、また同様でしょう。自治体などで妊婦体験(お腹に赤ちゃんと同じくらいの重りを入れて動く 等)を実施していることもありますので、ご興味あれば是非体験してみてください。
臨月に近づけば、妊婦さんのお腹はとても大きくなります。誰が見ても「あの人は、お腹に赤ちゃんがいるのだな」と分かることでしょう。しかし妊娠初期などの場合、傍目から妊婦であることは分かりません。
「いつから分かるのか?」
という疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。これもまた人によって個人差があり、なかなか目立たない人もいれば、すぐに目立ってくる人もいると思います。ですからマタニティマークは、むしろお腹の目立たない妊婦さんが、「私は妊婦なんです」と伝えるためにあるといえるでしょう。
ちょっと、記事の内容に振り返ってみたいと思います。記事中にあるマタニティマーク普及委員会の責任者様のコメントとやや重なりますが、なぜこうした嫌がらせが起きるのかについて、私なりに考えてみました。
- 妊婦さんは病気でも高齢でもなく、障害なども持たない健康体である
- 妊娠初期はお腹も小さく、大して負担ではないと思える
- 大変とはいっても、普通に生活できる
- マークを着けていても、本当に妊婦であるかは分からない(疑い)
など、さまざまな要因がパッと考えただけで思いつきました。特に「健康体である」という点が、一番のネックになっているように感じます。つまり「健康なのに、なんで優先しなきゃいけないんだよ?」というワケです。
■妊婦さんの立場で考えてみる
「赤ちゃんがお腹にいる」というだけで、既に私たちと“同じ”ではありません。妊婦さんは、お腹の中で赤ちゃんを育てる責任を持っています。生命に対する責任…その重さについて、どう感じるでしょうか?
妊婦さんの中にも、その状態に差があります。例えば初産であれば、何事も不安に感じることでしょう。あるいは『産まれやすい』体質の方もいらっしゃり、そうした方は、産婦人科などでも出来るだけ安静に(動かずに)するよう注意されます。私は専門家ではないのでこれ以上は分かりませんが、少なくとも私達とは違うし、生活の困難度は妊婦さんがはるかに上。これは、間違いないはずです。
そして、妊婦さんの疲れやストレスは、そのまま赤ちゃんにも影響を与えるそうです。食べ物にも気をつけなければいけませんし、転倒したりお腹がぶつかったりするなんで、もってのほか。
- 電車で長い間座れず、その疲労が赤ちゃんに何らかの悪い影響を与えるとしたら?
- エレベーターに乗れず、やむを得ず階段を使って転んでしまったら?
- 無理やり満員電車に乗り込んで、妊婦さんのお腹を圧迫してしまったら?
全て可能性レベルの話ですが、何かあった際、その生命に責任を持つのは妊婦さん。たとえ目に見ることが出来なくても、赤ちゃんは確かに妊婦さん、そしてその旦那さん(あるいはその子の兄弟)にとって、大切な家族です。家族を守ることは、当然ではないでしょうか?
我が家でも、子どもたちが産まれるときには、いろいろな工夫をしました。
大好きなコーヒーは、カフェインレスに限定。風邪を引いても薬は飲めないので、もしものときは漢方(これが不味い…)。もちろん、予防も徹底します。出来るだけ身体に負担を掛けないように、自転車移動は控えめに。重い荷物なども避けます。階段(特に下り)は危ないので、エスカレーターやエレベーターを優先。どうしても階段しかなければ、必ず手すりを持って降りる。
しかしそれでも、外からの影響は完全に避けられません。だからその1つの手段として、マタニティマークを着けているのだと思います。つまりマタニティマークは、妊婦さんからのSOSなのです。
妊婦さんだって、自分が「健康である」ことは十分に認識しているでしょう。
「妊婦だから、マタニティマーク着ければ優先してもらえる!ラッキー♪」
なんて考えている方は、(恐らく)ほとんどいません。本当ならば、周囲に迷惑を掛けたくないと思っているはずです。それでもマタニティマークを着けるのは、着けざるをえない理由があるからに他なりません。そんな妊婦さんに手を差し伸べることが出来ないというのは、なんとも寂しく感じます。
■赤ちゃんという存在
私を含め、当然のことながら、誰もが最初は“赤ちゃん”でした。きっと、あなたが無事産まれてくれるようにと、母親は常に気を配ってきたはずです。そしてそこには、父親をはじめ周囲からの支えもあったことでしょう。
赤ちゃんは、その家族にとって何よりの宝物です。私は子どもたちが可愛くて仕方ないですし、それは少しずつ成長し大きくなろうと変わりません。これは赤ちゃんに限ったことではなく、生命というものは共通して尊いものだと思っています。
そして赤ちゃんはやがて成長し、今の私達と同じ大人になります。その頃、私達はすでに社会の第一線から退こうとしているでしょう。つまり日本、あるいは世界を担う役割を、私達は次の世代(=赤ちゃん) へとバトンタッチしていくのです。そして彼・彼女らは、また同様に生命を授かり、さらに次の世代へとバトンを繋いでいくことでしょう。
つまり“未来”を担う存在。それこそが、赤ちゃんなのです。
「未来がどうなろうと、今生きている自分には関係ない」という方もいることでしょう。その考え方を、私は否定するつもりもありません。しかしそれであっても、未来を壊す権利など誰にもないはずです。「嫌がらせ」することに、何の意味があるのか。言い方が悪いかもしれませんが、ただの子どもじみた反発にしか思えないのは、私だけではないと思います。
年齢に関係なく、生命にはかけがえのない価値があります。
「赤ちゃんは未来があるから、大人より価値がある」
とする考えも、恐らくあるでしょう(学生時代、このテーマでディスカッションした記憶があります)。これには人それぞれ考えがあると思いますが、少なくとも平等以下ではないはずです。
それであれば、妊婦さんはその価値ある“生命”を2つ持って生活しているわけですから…。と、これは少し極論的かもしれませんが、尊ぶ理由はあっても、無下にする理由は見つからないのではないでしょうか。
■最後に
最後に、記事中では「子どもを授かることの出来ない方」についても触れられていますが、今回私はそこには触れません。なぜなら、そうした方々の気持ちについて私は知らないからです。そのうえで意見を書いたところで、それはただの批判や偉そうなお説教にしかならず、「嫌がらせ」と大して変わらないと思います。
赤ちゃんは、世界にとって尊い存在です。私たちも、そう思われてこの世に生を受けました。
親という立場にならなければ、なかなか認識出来ないことなのかもしれません。そして妊婦さんの気持ちは、妊婦さんでなければ分からないのでしょう。2人の子を持つ身であっても、全てを理解出来てはいないのだろうと感じます。しかし理解しようとしなければ、何も分からないままです。
願わくば、未来を担う子どもたち、そして生命を授かる妊婦さんたちに対し、優しさに溢れた社会であってほしいものです。