男から夫、そして父親となって9年。今では3人の子持ちですが、“育て方”については常に答の見えない中で模索しています。「こう育てたい」という考えは人によって異なるもので、たまに妻とでさえ意見が合わないことも。もちろん話し合うわけですが、結果的には「こうあってほしい」というイメージを持って、考えうる中での最善を進んでいくしかない気がしています。
先日女川で行われたイベント『女川RunRunランサー』(過去ブログはこちら)の帰り。鮮魚店にてたくさん海の幸を購入し、家族へのお土産にしました。発泡スチロールを持ち運ぶ…なかなか大変でしたが、家族の笑顔をイメージすれば苦ではありません。
そして、やはり家族には“本当に美味しいもの”を味わってほしい。東京は美味しく調理するお店は多いものの、素材そのものとして美味しいと感じられることは、ほとんどありません。産地が同じでも、結局は配送・加工によって味も変わってしまいます。
マイカ、秋刀魚、アオ、ナメタ。どれも、その日の朝に水揚げされたばかりです。味はもちろん、とにかく大きい。価格についても、東京のスーパーとは比べ物にならないコスパです。並べて見せるだけで、
「うぉー!すっごーい!!」
と声が挙がりました。目をキラキラと輝かせて驚く子どもたち。こういう体験が、1つ1つ重なって成長していくのでしょう。
マイカ、秋刀魚、そしてアオは刺し身に。子どもたちの見ている前で調理していきます。もちろん少しグロテスクなのですが、“命を頂いて生きている”ということを理解してもらうために。そして私は、子どもたちにも「料理くらい自分で出来るようになってほしい」と思っています。それは自分が食べていくためだけでなく、将来結婚したとき、料理できることが家事・育児の支えにもなるから。
「どうしてパパは、男なのに料理が上手なの?」
以前、長男からこんな問いかけを受けたことがありました。テレビの影響なの何なのか…長男の中では、“料理=女性”というイメージなのでしょう。
しかし家庭は夫婦が支え合っていくものだし、多くの女性が社会で活躍する現在、男性だってこのくらいできないとカッコ悪いと思います。特に豪快系な料理って、男が出来たらカッコイイじゃないですか。そんなに上手ではありませんけどね。ちなみに我が家、妻は生魚を捌けません(そういう女性って多いでしょ?)。
刺し身だけでは飽きるので、焼き魚も。塩を振って頭までしっかり食べてもらいました。よくスーパーでは、頭や内臓を取り除いた状態で売っています。でも、頭だって食べられる部分があるし、もったいないですよね。子どもたちには、それが普通だなんて思ってもらいたくありません。食べ物を無駄にしない。それが当たり前になって欲しいと思っています。実際に食べてもらえば、「頭、美味しい!」って喜ぶんですから。
我が家ではお馴染みなのが“骨せんべい”です。今回は調理過程で骨を取り除いたので、そのままカリッと揚げました。いつもは骨だけ残してキレイに食べた際、ご褒美としてこれを作っています。1匹から1本しか取れない貴重な骨、実は子どもたちのお気に入りです。いつも捨てていたという方、もったいないですよ!
イカの刺し身が残ったので、同じく使い道に困っていた肝を使って“塩辛”に。これは、子どもたちではなく自分のツマミです。あれだけ大量だった魚介類、まだ秋刀魚とイカ1杯が残っていますが、調理した分からゴミなんてほとんど出ませんでした。
「骨、美味いっ!」
「醤油かけなくても美味しいよ♪」
「こんなところまで食べられるの!?」
こうした驚きの声が、私にとっては何よりの喜び。ちゃんと料理(というか家事)が出来て、食べ物を無駄にしない大人になってほしい。子どもは親を見て育ちますから、そう願うのであれば、やはり自分がその模範となる姿を見せなければ…ですね。
ちなみに昨日、長男をプール教室に送った際のこと。椅子などが並べられた見学スペースで、小さな兄妹が遊んでいました。親は見当たらず“留守番”状態。その遊びは少しずつエスカレートし、並べられた椅子はぐちゃぐちゃに。妹が椅子から落ちそうになったり、椅子と椅子の間に挟まったりして、
「お兄ちゃん、やめて!やめてよ!」
と、何度も半べそ状態になりながら訴えています。周囲には4名ほど大人の姿があり、この兄妹の様子をチラチラ見ながら気にしている様子。しかし、誰一人として声を書けません。
「やめなさい。それはイスだよね?オモチャとそうじゃないものの違いも分からない?妹は泣かせるためにいるの?遊ぶなら、お互い楽しく遊ぼうよ。」
そう声をかけたら、お兄ちゃんはうつむきながら「はい」と言い、ちゃんと椅子も直してくれました。居づらくてすぐその場を去っていきましたが、ちゃんと話せば分かってくれます。誰も何も言わなければ、「いけないことをしたら、親じゃなくても叱られる」という当たり前のことさえ知ることができません。
子どもは親だけでなく、大人みんなで育てていくもの。そう考えるのは、変なことでしょうか?親に何か言われるのが嫌なのか、それとも面倒くさいのか。少なくとも私は、自分の子でなくても叱ってあげられる大人でありたい。そして、周りの子どもたちにも、そうであってほしいと願っています。これもまた、やはり普段から自分がその姿を見せていくこと。これが大切なのではないでしょうか。