いいでしょ?僕の人生

ハセツネCUPをDNSした理由とトレランに対する自分なりの考え


最近、仕事の関係から山を走る機会が増えています。その延長でエントリーしていた「ハセツネCUP」ですが、残念ながらDNSしました。今回のDNSからは、自分なりに“山を走る”ことへの考えが見えた気がします。

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◼︎山を走ること、レースを走ること

最初に言っておくと、私はトレランが苦手です。それは走れないということではなく、“楽しめない”という方が合った表現かもしれません。確かに下りは苦手ですが、最近は自分でもだいぶ走れるようになってきました。下りが苦手だった頃は、それこそ怖くて走りたくありませんでしたから…。

でも、山を走ることは好きです。緑に囲まれ、澄んだ空気の中を走るのは清々しい。ときおり目に飛び込む絶景は、疲れなんか吹き飛ばしてくれます。つまり私は、トレラン“レース”が苦手なんですね。

これは私の悪い癖で、レースとなれば、つい本気を出さずにはいられない性分。しかしトレイルでは足元や周囲に目を向けねばならず、走ることだけに集中できません。それは自分が危険に遭わないようにするだけでなく、自然を壊さないように自分にそんな自然愛があるなんて知りませんでした。

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◼︎雨だからDNSという判断

今回ハセツネをDNSした理由は、天候でした。予報は3つのソースから細かく確認していて、大会前日、そして当日のスタート直前頃までが雨天。実際、朝起きると強い雨が降っていたので、DNSを決めました。大会本番は、やはりスタート時点で雨があがったようです。SNSを見ていても、

「雨があがって良かった!」

という投稿がたくさん。確かに雨の中を走るのは大変です。雨で視界が悪いと(実際には霧が出たようですが)危険度も増すので、これは喜ぶべきことなのでしょう。

しかし、たとえ大会中に雨が降っていなくても、すでに山はたくさんの雨を吸い込んでいます。足元はぬかるみ、人が走ればぐちゃぐちゃになるはずましてハセツネCUPは、2,000名以上の方々が参加する大会。ランナーの通り過ぎた後は、荒れ放題になること必至です。

「思ったほどぬかるんでいなかった」

という声も見られましたが、それは程度の話に過ぎません。実際にレース後のコースを見たわけではありませんが、なんとなく想像できるのではないでしょうか。

もちろん私1人が出ないからといって、何が変わるわけでもありません。しかしランナーによって荒れた山を走ることも、自分が荒れさせることも嫌でした。とはいえ、堅い土と同じようにキレイに走れる技術はありません。だから、私の結論はDNSだったんです。

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◼︎自分の楽しみと同時に環境への配慮も

だからと言って、出場された方々を批判するつもりはありません。これは私個人の考えに過ぎず、

「決行されるのに走らないなんてもったいない」
「泥だらけになって走るのもトレランの醍醐味」
「濡れた路面特有の難しさを楽しみたい」

といった意見も、分からないわけではありません。事故など起こしては元も子もありませんが、安全に大会を終えられたのであれば、それぞれ自由な楽しみ方なのでしょう。ましてハセツネのような過酷なレース、走りきった方々は素晴らしいと思います。

しかし、自分の楽しみにばかり目が向いていないかというのは少なからず感じます。どれだけの方が、走りながら山という環境に目を向けていたのか。山はランナーだけのものではなく、地域にとっては資源であり、登山に訪れる方だっているはず。ただ自分のレースに必死で、がむしゃらに走っていなかったか。競技人口が増えるほど、そんなことが頭をよぎります。

もちろんトレランは、一部で町興しなどの一環として取り組まれているものもあるでしょう。それは、むしろ山という自然資源を活用しようという気持ちであり、雨であれ走ってほしいと望まれる場面もあるはず。しかしそれでも、誰かの手によって整備されているのだということを忘れてはいけません。

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以前、高松を訪れた際に、地元の皆さんの手で整備されているトレランコースを訪れました。実際の整備活動にも参加させて頂きましたが、簡単なことではありません。 一度整備した場所でも、雨などによって崩れれば危険になります。ランナーが走った後であれば尚更でしょう。私たちが安全に走れるということは、そのために誰かの努力があるのです。

◼走れることは当然ではなく…
これはトレランに限ったことではありませんが、どうも大会では“走って当然”という空気を感じます。何が原因であれ中止になれば文句を言う人が出ますし、逆に主催者側もこれに対し「申し訳ありません」という姿勢を持っているでしょう。確かに参加者はエントリー費を支払っていますから、

「お金を払っているんだから走って当然でしょ」
「お金を払ったのに走れないなんて意味がわからない」

といった気持ちも分からなくはありません。飲食店でいうところのお客ポジション。前会計したのに「材料が切れたから料理は提供できませんが、払い戻しも無理です」と言われれば、怒りが湧くのも頷けるでしょう。しかしトレランを含むマラソン大会は、これとは大きく異なります。

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走るのは公道や山。もちろん交通規制している大会もありますが、基本的にそのコースはランナーのためのものではありません。実際、交通規制するような大会でも、近隣住民から「道が通れなくて迷惑」といった声が。トレイルもまた、ランナーによって山が荒れることに批判的な意見が後を絶たない状況です。これに対して走る側は、本当に今の姿勢で良いのか。中にはゴミを捨てるような方もいて、同じランナーでさえ不快に感じます。いくら山や公道を使用して良いと言われても、その許可を出しているのは管理者。地域あるいはそこを訪れる全ての人からの声ではないことも忘れてはいけないでしょう。

走れて当然ではなく、走らせてもらっている。

そこに優劣をつける気はありませんが、走る側のそうした気持ちが、どうも欠如しているように思えて仕方ありません。特に最近は急激にトレランを含むランニング人口が増加しており、悪い影響が出ているのではないでしょうか。

主催者側も、やはりランナーの立場で考えると、多少の悪天候であれば決行しようと考えるでしょう。それまで取り組んできた準備もありますし、参加者に楽しんでほしいという思いもあるはずです。 しかし主催者側もまた、参加者だけでなく、もっと広く周囲に対する配慮が必要なのかもしれません。

これからも私は山を走ります。しかし大会へ積極的に参加するより、晴れた日に自由なトレランを楽しむ方が多いでしょう。もし大会に出るとして、やはり“雨なら走らない”スタンスは変わらないでしょう。どうすれば楽しめるのか。その裏側には、周囲の協力や理解があることを忘れてはいけません。

最後に・・・

雨の中で大会運営、そして事後処理などにご対応いただいたスタッフの皆さま、ありがとうございました。
そして過酷なハセツネCUPというレースを走った皆さまも、ナイスランでした。
山という環境が走る・走らない問わず、多くの方々にとって素晴らしい場であり続けてくれることを願います。