いいでしょ?僕の人生

DNF・・・しかし、人生最長距離を走覇!|T.O.F.R


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ご報告が遅くなりましたが、先月、2/9-11の3日間をかけて324km走るレース「トランス・オキナワ・フット・レース」へ出場して参りました。

 
これは3日間連続で約100kmの距離を走る、ステージレースです。これまで走った最長距離は、昨年7月の奥多摩周遊エコ・ジャーニーの99km。距離もさることながら、ステージレース自体も人生初のチャレンジとなりました。
■初日は楽しいウルトラマラソン
1日目はトライアスロンチームの仲間3名と一緒に走り、最後まで笑顔の絶えない1日。途中でソフトクリームを食べるなど、沖縄を満喫しながら走る事が出来ました。ちょっと涼しいくらいだったのですが、走っている最中のソフトクリームって最高ですね。
 
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結局、14時間40分程で約100kmをゴール。なんとこのタイム、100kmの自己ベスト(奥多摩周遊エコ・ジャーニーは15時間50分)です。初ウルトラマラソンと比べれば、疲れ方も脚の痛み方も成長できたな…と感じ、非常に良い形で1日目を終えられたとお見ます。

 
たださすがに100km走れば脚は疲れ、夜は発熱(これはいつものこと)。アイシングやマッサージ、ストレッチで入念なケア。ある程度の睡眠は確保できる時間にゴールできたので、「明日も走れそう」という感覚を持って2日目を迎えました。
 
■限界を超えた!?2日目の山道レース
1日目は那覇市からスタートしたこともあり、ある程度人通りも多い場所をずっと走りました。しかし2日目は、なんとコースのほとんどが山!スタートして数kmで山道に入り、結局ゴールまで3つの山を越えることになりました。しかもそれらすべて、山頂まで登り切るという過酷コース。
 
最初は1日目と同じく仲間とともにスタートしたのですが、5kmほどで脚の痛みと疲労を感じ、自分のペースで単独進むことに。100km以上を1人で走るのはなかなかキツいですが、もはや同じペースでついて行くことの方が厳しいと判断しました。
 
とにかく、登り道は歩く。ペースは落ちますが、登りを走っていたら半分も行かないうちに限界が訪れると思いました。実際、歩くのもしんどい山道。さらに2日目のコースは、ほとんど民家もなく人が見当たりません。エイドのスタッフさん、そして前後を走るランナー以外の姿を見たのは、本当に数えるほどでした。
 
それでも50km程までは、1日目を上回るペースで進みました。登りを歩いていること、そして脚の状態を考えると制限時間が厳しいと判断したので、50kmまでほとんどエイドで休まない(飲み物と食べ物をサッと手に取るだけ)ようにして走ったことが功を奏しました。十分な水分・補給食は持っていたので、この作戦は正しかったと思っています。お陰で70km地点まで、最初に離れた仲間とエイドでいつも会う(ちょうど彼らが離れる頃に辿り着く)ことができました。これは、本当に心理面で大きな支えになったと思います。
 
しかし50kmを超えた頃から、脚の浮腫が加速してきます。歩を進めるごとに脚全体が痛み、靴紐を緩めても足の裏だけは痛みが取れません。脹脛の筋肉もパンパンで、少しずつ膝もギシギシと鳴り始める…。ただいつも攣ってしまう腿は健在だったので、走り方を変えながら進んでいきました。
 
最後(3つ目)の山に入って少しした頃。日が落ちて、周囲が暗くなり始めました。ここで気付いた、重要な事態が・・・
 
「ヘッドライト忘れた!」
 
そう、夜の山道では必須とも言えるライトを忘れたんです。これは単純に自分の準備不足なのですが、想像以上に大きなトラブルとなりました。なにせ人がほとんどいない場所。特に山へ入ってしまえば、車すらも通りません。そして車が通らないからこそ、外灯すらも一切なし。いよいよ本格的に日が落ちると、見えるのは車道の中央線のみです。
 
歩道もなく、道の脇には大きい溝。ほんの少し先すらも見えない暗闇の山中で、中央線を見ながらその上をまっすぐに進んで行きました。たまに車が来れば、道脇に移動して立ち止まる。その際、溝に3度落ちて脚の脛がアザだらけです。でも仕方ないので、また中央線に戻ってひたすら進み続ける。山中に1ヶ所あったハズのエイドは、時間が過ぎてしまい撤退していました(これが、精神的にかなりキツかった・・・)
 
感覚的には15kmほど進んだ感じ・・・しかし実際には6kmほど進んだところで、前を進んでいた仲間と、共に走っているランナーのグループに会います。ちょうど自動販売機がある場所で、休憩を済ませて先へ進むところのようでした。時間制限も厳しくなってきたので、サッとだけ飲み物を補充して先に進みます。まだまだ、先は真っ暗闇です・・・
 
すると先ほど会った2人が、100mほど先で心配して待っていてくれました。
 
「ライトがないと、さすがに危ないよ。一緒に行こう。」
 
もう、涙が出るほど有難く思ったのを覚えています。暗闇を1人明かりなしで進むのは、思った以上に精神面でダメージになっていたようでした。とはいえペースはこちらの方が遅いので、ついて行くのがやっと。それでも遅れてしまうのですが、遅れていることに気づくと2人は待っていてくれます。嬉しさと申し訳なさで自分が情けなくなりながら、必死に進んで行くと・・・遂に、2日目最後となるエイドが見えました。
 
既に脚はボロボロ。エイドに着くなり座り込んでしまい、しばらく動けなくなってしまいました。体が冷えて筋肉が固まってしまうのが分かっていても、体が言うことを聞いてくれません。
なんとか再び立ち上がろうとしたとき、朗報が飛び込みます。なんと、エイドにいたスタッフさんがLEDライトを化して下さると言うのです。小さなライト
でしたが、今の私にとっては恵みの光。ライトさえあれば、一緒に走ってくれた2人にも迷惑をかけず、遅れてもなんとか1人で進むことができます。
 
エイドを離れて少しは一緒に走りましたが、やはりすぐについていけなくなる。しかしライトがあるので、こちらの心情も悟ってか2人はそのまま進んでくれました。少しずつ道路も広くなり、コンビニやマンションなども見られる地域に入ってきて一安心。しかしアップダウンは多く、みるみるうちにペースが落ちます。
ちょうどコンビニが見えたところで脚が攣り、マッサージするためストップ。まだ前にかすかな2人の明かりが見えていましたが、ここからは自分だけで進み続けると決めました。残り時間は、一切余裕などありません。時計に目をやり、残り距離からペースを考えます。歩いていたら間に合わない。とにかく少しでも走らなければ、ゴールにたどり着いてもタイムアップです。
 
しばらく進むと、坂の上に手を振る影が見えます。スタッフさんが、最後の曲がり角を教えてくれていました。すると後ろから「頑張ってください!あと少しです!」という声。後続ランナーの確認をしていたのか、スタッフさんが車の中から声援を送ってくれました。
 
残り時間は僅か。坂を登り切った時点で、既に”走る”という行為ができる体ではなくなっていました。最後の曲がり角を曲がってからが、とてつもなく長かった。走れないから歩く。しかし、歩くペースすらどんどん落ちていきます。途中、何名かのランナーに抜き去られました。お互いに声を掛けながら、自分自身の心にも「あと少しだ」と言い聞かせます。
 
いよいよゴールである宿泊先がありそうな場所に着きましたが、残り時間は15分。距離は、まだ2kmほどありそう。気持ちはあれども、脚は全く進まず。1分置きくらいで時計に目をやりながら、今できる全力で歩きます。目印とされていた宿泊先の看板を見つけたときは、思わず涙が出てしまいました。すぐ近くで、スタッフさんが誘導してくれています。
 
「あそこですよ!」
 
スタッフさんの示す先には明かりがともり、かすかに仲間の声が聞こえました。
 
「あと少しだ!頑張れ!」
 
ゴールは宿泊先の入り口。最後数メートルの上り坂も、脚だけでは登れず。膝に手を置いて、踏ん張りながら登りました。制限時間5分前、時間は日を回って24時25分です。ギリギリで、制限時間に間に合いゴールすることができました。朝6時にスタートしましたから、18時間25分も走っていたことになります。
チームの仲間、そしてその他大勢のランナーが、ゴールで迎えてくれました。翌日に向け、本当は早く眠りたいはずです。嬉しくて、とにかく嬉しくて涙が出てしまいました。
 
とはいえまだ2日目。まだ最終日が残っています。シャワーを浴びて夕食を食べ、ストレッチして翌日の準備・・・。もう限界を感じていましたが、とにかく最終日もスタートすることを誓います。体中が熱くて、発熱しているのが分かります。とにかく早く寝ないと・・・終身したのは、2時半頃でした。しかし眠っていても、体中が痛くてしょっちゅう起きます。上を向けば背中とお尻が痛く、横を向くと下になった脚が痛い。ぐるぐる体制を変えながら、あっという間に最終日の朝を迎えたのです。

■”脚が終わる”という体験
朝6時。ついさっき2日目をゴールしたばかりのように感じますが、とにかく最終日のスタート時間です。
 
あまり眠れなかったためか、おそらく熱は下がっていなかったでしょう(体温計ってないので分かりませんが・・・)。ゴール直後に比べればマシですが、脚の疲労感や痛みはこれまでに経験したことのないレベルでした。それでもここまで来たのだから、ゴールしてみたい。いくら脚が痛かろうが、ゴールするつもりでスタートを出発しました。
 
最初の1~2kmは、ほとんどのランナーが歩いてスタート。最終日ですし、それぞれに疲労を抱えていたのでしょう。私も仲間たち3人と一緒に、しばらく進みました。
 
しかし最後まで歩いていては制限時間に間に合いませんので、2kmくらいから少しずつ走り始めます。みんな同じように疲れているのだと思えば、自分だけヘタれているわけにはいきません。ペースは上がりませんが、必死に走ってついていきました。それでも遅れるので、それに気づくと仲間たちは歩きます。私はそのまま歩く仲間を追い抜き、走っていきます。私まで歩いていたら、全員道連れにしてしまうと思ったからです。
 
しかし限界が訪れるのに、そう時間はかかりませんでした。ついていけたのは6kmまで。痛みにたまらず止まってストレッチすると、そこから走りだすことはできなくなってしまいました。走ろうとすると膝が痛み、太ももの筋肉が剥がれそうな激痛が襲います。先行く仲間にFacebookでメッセージを送り、歩いて進むことに。その時点では、
 
「歩いていれば、走れるように回復するはず。そうしたら、しっかり走って取り戻そう。」
 
と思っていました。それまでは、いくら遅くても前へ進むことだけを考える。後ろから何人ものランナーに抜かれましたが、その時点で私にできることは「進むこと」だけでした。
 
しかし残念ながら、むしろ脚の状態は悪化。いつしか、歩くことすら脚が拒否する状態に。文章では表現し辛いのですが、脚の筋肉へ「進む」という脳からの命令が届かないかのように力が抜け、腕と腰の動きでやっと無理やり脚を前に出せる・・・といった状態でした。
 
「脚が終わった」
 
これまで経験したことのない疲労感と痛みに、自分の脚が本当の意味で“終わった”のだと確信しました。距離にして、10kmほど進んだ頃でしょうか。エイドは21km地点までありません。
 
とにかく進みたくて、あらゆることをしました。補給食でエネルギーを補充し、水分を取り、立ち止まってストレッチやマッサージ。遂には歩いているとワープ(寝たまま歩いてた)するようになったので、道端で数分の仮眠までしました。どれかが原因で、きっと脚は回復する・・・そう考えていましたが、無駄だったようです。
 
この時点で、私は1km進むのに18分もかかるペースにまでなっています。普通に歩けば9~10分で進める距離。散歩中のおじいちゃんにも抜かれるほどで、いつの間にか私は最後尾になっていたことは後で知ったことです。
15km地点で、スタッフさんの車が横を通ります。
 
「大丈夫ですか?」
 
大丈夫なわけないのですが、大丈夫と答える。このとき私の心の中では、リタイアすることを決意していました。しかしリタイアするのは、今ではありません。21km地点にあるエイド。そこまでは、這ってでもたどり着くと決めたんです。
 
エイドまで残り1km。遠くから、こちらに走ってくる人がいます。オレンジのパーカーを着たスタッフさんでした。なんと私を心配して、迎えに来てくれたと言います。しかもエイドでは、私をかなり前に抜き、しかし同じくエイドでのリタイアを決めた人たちが待っているとのこと。
 
「他のランナーが、あなたは絶対にエイドまで来るからと言って待っていますよ。」
 
そこからの1kmは、泣きっぱなしでした。嬉しさや悔しさ、なんだかいろんな感情が湧きあがってきて、どうやっても涙が止まらなかったのを覚えています。迎えに来てくれたスタッフさんは、エイドまでずっと一緒に歩いてくれました。歩いていると言えるのかすら分からないペースなのに、私に合わせて進んでくれるんです。
  
「この大会に出会えてよかった。」
 
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ただひたすらに、感謝の思いでたどり着いたエイド。確かに、何人ものランナーとスタッフさんが待っていてくれています。拍手で迎えられ、水分と食事を頂きました。ここで、私のトランス・オキナワ・フット・レースは終了です。3日間の走行距離は、合計238km。人生最長距離を走りました。ゴールこそできませんでしたが、悔しさよりも溢れる達成感を得られたのは、本当に自分の限界まで挑めたからだと思います。
 
その後はゴールまで車で移動し、風呂や着替えを済ませてゴール地点でランナーを待ちました。一緒に走ったランナー全員が、まさに仲間。全員のゴールが、我がことのように感動の連続です。USTREAMでみんなのゴールシーンを放送しましたので、お時間のある方はぜひ「激走324km!沖縄本島一周マラソン」をご覧ください。
 
おそらく、今年最大のチャレンジ。少し前まで5kmも走れなかった私が、今は200km以上も走ることができています。成長を感じるとともに、まだまだ努力しなければいけないと課題も見つかりました。そしてこのレースを通じ、多くのランナーと知り合えたことも大切な宝となっています。
 
もし私が1人きりで走るランナーなら、このレースを知ることすらなかったと思います。そもそも、ウルトラマラソンにだって挑戦していなかったでしょう。周囲への感謝とともに、これからも更にチャレンジしていこうと決意しました。

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